友達と連絡が途絶えた日々。僕は死んでた、彼は生きてた。だけど・・・

こんにちは、ニシマツ(@output_log)です。

春といえば出会いと別れの季節。
2016年の僕の春は、別れから始まりました。

気持ちは沈み、死んでいるような状態でしたが、今は冷静になって落ちついていると思います。

周りの人に心配や迷惑をかけてしまったけど、その時のことを無かったことにはしたくない。振り返ってみようと思う。

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音信不通の親友

僕には学生のころからの友達で、親友と呼べるような存在がいました。

社会人になってからも、頻繁に遊んだり飲みに行ったりするような仲。会社の人や親にも話せないことを言い合えるような、よき相談相手でもあった。

そんなかけがえのない友達と、全く連絡が取れない時期があったんです。

先に言っておくと、一度連絡が取れましたが、今も音信不通が続いています

別れの始まり

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【2016年2月13日】
昼間、渋谷で集合。
カフェにてPCを持ち寄り、雑談しながら作業。
お互い夜には予定があったため、近々飲みに行こうと言って、さようなら。
僕と親友が最後に会った日。

【2016年2月17日】
飲みに行く日程を相談しようと、予定を聞いてみることにした。
LINEで連絡したけど、すぐには返事が来なかった。

これはいつも通りのこと。
すぐに返事が来る時もあれば、翌日や2日後に来ることもあったから。

その時も、のんびり待つか、と軽い気持ちでしか考えていなかったけれど…



2日を過ぎても返事が来ない。

既読にすらならない。

考え過ぎかなとも思った。
共通の友達がいるので、そちらからも連絡をしてもらった。

同じ結果だった。

ひょっとして、スマホのトラブルかな?
そう考えることにした。

幸運なことに、LINE以外の連絡先も知ってたので、そちらを使うことにした。
見る頻度は少ないと思うけど、Gmailなら一日一回はチェックするだろうと思って。



だけど返事は来ない。

嫌な予感がした。

そもそもLINEだってPCからログインできる。
スマホだと効率悪いから、お互いPCでログインしてやり取りしたことだって何度かあったんだ。

なにかで連絡が繋がればいいと思い、携帯のメール、Slack、Facebook、電話、ありとあらゆる連絡手段を使った。

でも無駄だった。
なんのリアクションもない。

なにかあったとしか考えられない。
事件や事故に巻き込まれたのではないか。無事なのか。

憂鬱な日々が続く

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僕は生きた心地がしなかった。心は死んでた。
連絡が取れないことへの不安と最悪の事態になっているのではないかという恐怖。

毎日頭が痛い。
家から出たくないし、誰とも会いたくない。
仕事に行くのも嫌だった。

でも、一度でも仕事を休んでしまうと、堕ちて戻ってこれなくなるのではないか。
そんなことになったら、本当の意味で死んでしまう・・・。

危機感を感じたので、いつものように出社し何事もないように振う舞おうと決め込んだ。



だけど、そんな願いが叶うはずもなく。

色々なことを考えて、頭の中はむちゃくちゃ。全くもって仕事が手につかない。
PCを前に作業しているつもりだったけど、突然、目に涙がたまる。溢れて頬を伝い、泣いた

周りには悟られたくない。
おさえきれなくなって、トイレに籠もって声を押し殺した。
涙と一緒にやたらと鼻水も出てくるし、もう止まらなかった。
そのせいで目は真っ赤に充血。

さらに、どれだけ寝てもスッキリしない。偏頭痛がする。
遅刻をしてしまったし、午前半休も取ってしまった。

こんな日々を送っていたのが2月29日~3月3日まで。

「跡を追う」ことについて

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連絡が取れない状態はまだ続く。
やっぱり何かあったのではないか。認めたくないけど、疑惑は僕の中で確信へと変わっていった。

そういえば「跡を追う」という言葉がある。

関係の深かった人の死に続いて死ぬ

goo辞書より引用。

この言葉の意味について考えさせられた。
たとえ本人に死ぬ気がなくても、いなくなったショックで死にやすい状況に陥っているのかと。

だって僕には心当たりがあったから。

ある日の夜、気付かないうちに赤信号の横断歩道を渡っていた。ぼーっとしていたんだと思う。もし車がきていた場合、とっさに避けられるほどの力はなかったかと。

なんとなくだけど、受け入れてしまうような気がした。

前向きに・・・

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死にやすい状況を理解したとき、このままではいけないと思った。
僕がいなくなったら、きっと悲しむ人はいる。特に、親に悲しい想いはさせたくない。

約7年の付き合いである親友でさえ、僕はとてつもない悲しみに暮れた。
25年の付き合いである親の悲しみなんて、計り知れない。

自分の命は大切にしよう。
そのためには生きる活力を取り戻さなくては。

とにかく趣味に全力投球。
ちょうど、ブログが楽しくてたまらない時期だったので夢中になった。
展示を見に行ったり、読書に明け暮れて感想を記事にした。明るく振る舞ってると、気を紛らわすことができたから。

仕事の方は、遅れていた分を取り戻した。ただ、親友とは元同僚でもあるので、職場にいるときの気分は相変わらず悪かった。

ついに手がかりが。事態が好転

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精神的にだいぶ安定してきた僕は、とあることに気づく。
家族は、このことを把握しているのか。

だけど、家族への連絡先なんて知らない。
同じ県出身だから住んでる地域までは分かるけど、より詳細な住所なんて知り得ない。

考えた。実家の情報があるところは何処か。
まず思いついたのが通っていた専門学校。

先生とのつながりはあったので、無謀ながらも訴える気持ちを込めてメールを送信。返事は返ってきたけど、やっぱり無理そうだった。そりゃそうだ…。

先生も心配してくれて、共通の知人に連絡が取れないか尋ねてくれていた。

正直な事を言うと、そんなことをしたって無駄だと思ってた。

すごく身勝手な考えだけど、僕以上に仲のいい人なんていない。こっちに連絡が来ないんだから、知人の方へ連絡が行くはずがないと思った。

案の定、連絡がいくことはなかった。
ところが、知人の交友関係は広く、事態が好転

働いている会社を伝えると、同じ職場に勤めている人がいるとのこと。次の日、本人がいるのか直接確かめてもらえることになった。

連絡きました。だけど・・・

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やっと事態が動いた。
同時に不安もよぎる。

いなかったらどうしよう…

悲観的なことばかり考えて、その日の夜は全然眠れなかった。
期待と不安でいっぱいだった。

10時50分を過ぎたころ、知人からメッセージが届く。

本人と連絡が取れたとのこと。メッセージのスクショも送ってくれたので、生きてたんだと確信。安心した所で、親友本人からもメールが来た。

『大丈夫です、生きてます』

音信不通から約1か月後、ようやく連絡が取れた。
本当に嬉しかった。今度は安堵の気持ちから涙した。

めでたし、めでたし。



・・・では終わらない。

それ以降、再び連絡がない。

こちらとしては事情を説明してもらいたい。一体なんだったのかと。
メールでも電話でもいい。とにかく話が聞きたかった。

それなのに、それなのに…。

これからについて

連絡が取れなくなって、もうすぐ2か月が経とうとしている。

相手が沈黙を決め込んでいる以上、もう連絡はしないでおこうと思う。

僕は、今になって親友という存在に依存しすぎていたことを反省

親友さえいれば他の友達はいらないとか、そういう考え方はやめる。

しばらくは、さよならだ。

連絡手段は残す

LINEのブロックやメールアドレスの変更などをして、全てを断ち切ろうとも考えた。

でも、できなかった。

願わくば、また集まって作業したり、飲みに行ったりしたい。

だからせめて、連絡するための手段は残しておく。

それに、もっと別の方法で伝えてくれてもいい。そのための手段は失くさないように、残しておくから。

さいごに

この記事見てるんでしょ?

このブログをFeedlyに登録してれば目に触れるかなと思ったから、あえて書いたんだよ。

連絡を待ってるのは、僕一人だけじゃないということを忘れないように。

それでは、またいつか。

友達と連絡が途絶えた日々。僕は死んでた、彼は生きてた。だけど・・・
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